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思索✕詩作。

思索と詩作のブログ。

社会の評価

思索 日記
小さい頃から真面目でコツコツ努力してきた根暗よりも、
小さい頃からのヤンキーやいじめっ子が改心した人間の方が
社会的評価が高いことに、不公平感とおかしさを感じている人が、
割といることが最近、ツイッターでわかって、
結構うれしい。


今は亡き大沢親分が、
ヤンキー先生よりも、真面目に日々生徒に接している身近な先生のほうが立派。
という言葉を言った時、拍手喝采がネット上で起きたのと同じ印象を受けます。



さて、私の話ですが小学、中学時代の私は
先生に褒められたり承認されることを第一に考えていました。
小学校は真面目にやっていた子供を褒める先生だったので、
わりかし真面目にやってたと思います。


ですが、中学校は、多分ほとんどの学校がそうだと思うのですが、
不真面目な人間が評価される、具体的はいじわるで明るい馬鹿っっぽい子
ですね。
あと、女子生徒から男子生徒に主導権が移ります。
先生が男子を評価するからですね。大きな仕事を任せたり。

で、先生に承認されたい自分は、
馬鹿にはなれませんすが、
そういう子たちの真似をして、
わざと遅刻したり、意地悪なことしたわけです。

でも、そういう子たちと違って先生たちに評価というか承認されない。


なんなんだろうな、
同じことしてるのに、人によって評価の仕方が違うのは。
あいつは笑ってごまかしても許されるのに、
自分はあまりそういうことがない。
カルチャーショックでしたね。


で、中学卒業の時点で残ったのは
遅刻癖と先生(大人)への不信。
高校でそれが許されるわけでもなく。
で、高校時代はほんと先生に反発しかしてなかった。


当たり前だけどサトラレくんだから友達いないしね。




まぁ家庭環境が糞だから、
先生(外部の大人)に承認を求めてしまっていたところかあるので、
それに固執した私の責任なんですけどね。
高校時代は親、先生の大人の意見は何も聞かなかったし、
大人が何か言えば自分はそれから却下していったので、
東京の大学薦められれば却下、体育祭の時は図書館でサボり
といういわゆる中学校で評価承認されるタイプの人間になっていました。


でも高校では中学校と違って、そういう子、評価されないんだよねー。


第二のカルチャーショック。




大学では遅刻癖を一緒に遊んでもらっていた人たたちに怒られました
一人だけ置いていかれたりして。
なかなか治らなかった。



今思うと中学校がおかしかったんだと思いますね。
やっぱりあの場って変な空気と評価軸ですよ。
遅刻が許される、
授業中に椅子持って暴れだしても
手のかかる子は可愛いから許される(許さない先生もいたけど)、
宿題やらなくても部活やってるからねーと、部活が宿題の義務の免罪符になる、
自習でお喋りしても咎められない、などなど。



この変な文化に染まらなかった子が強くて自分に厳しくて真面目な子なんだろう。



今の社会が、
中学時代のような人の評価のしかたをする社会か、
小学、高校時代のような人の評価のしかたをする社会かは
私にはわからないけど、
大沢親分のような人が評価する側の人間出逢ってほしいなと思う。



ただの反抗期って思われたらむかつきますね。
中学時代の大人のアンフェア対応から大人を信じなくなっただけなのに。


承認を必要以上に他人に求めちゃダメなんでしょうな。
悪い人を評価する大人には特に。