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思索✕詩作。

思索と詩作のブログ。

違和感を感じた時の問題意識の持ち方の個人差について。

思索
違和感(欲求)を感じた後の行動には個人差がある。
その違いを生み出すものは何かを考えてみる。

結論を先に言うと、感覚(経験?)に知識がついてくるか?ってこと。


例えばお腹が減った時に理由を考える段階というか次元について考えてみる。

お腹が減った➝
お腹が減った➝食べ物がないから(駄々をこねる)
お腹が減った➝食べ物がないから➝お小遣いが少ないから(お小遣いを増やすよう要求する)
お腹が減った➝食べ物がないから➝お小遣いが少ないから➝親の給料が少ないから(転職するように言うか嘆く)
お腹が減った➝食べ物がないから➝お小遣いが少ないから➝親の給料が少ないから➝景気が悪いから(泣き寝入る)
お腹が減った➝食べ物がないから➝お小遣いが少ないから➝親の給料が少ないから➝景気が悪いから➝経済政策で失敗してるから(経済政策を重視する人に選挙で投票する)
      
このように、知ってる知識で解決策が変わる。
近視眼的か視野が広いかは知識量で決まる。

食べ物を例に出したが、なんらかの違和感(欲求)は生きてる限り誰もが持つと思う。

教育はその違和感を大切にするのやもちろんだが、
違和感を欲求に変えて、
さらにそれを
1、解決するための現状認識の知識と
2,実行するための思考力、
3,実行力そのものを育てなければならない。

個人的にゆとり教育は惜しかったと思う。2、3はやってたから。
1が足りなかった。

で、疑問は2,3は大人になってからでも見につくかということだ。
私は個人的には知識の方が後からでもつけることができるが、
実行力(勇気と度胸)は小さい頃でないと見につかないと思うのだ。
思考力はグレーゾーン。

それとも、思考力と実行力は天性のものだろうか。
私はそうではないと信じたい。

高校生への政治教育が始まるわけだが、
海外の政治教育の報道を見ると、
自分の利益を主張することを恐れるな、
ということwl強調しているように感じる。
自分の利益が社会全体の利益につながるから、という考え方だろう。

日本は政治に無私や無垢さを求めているきらいがあるが、
政治は理想の世界を実現するためではなく、
利益を求める者たちが大いなる妥協をするためにある、
という論を聞くに、
自分の利益、自分が幸せに生きるために、
もっと主張していいのではないかと感じリ。

が、政治と自分の欲求がリンクしていない人も多く、
高校生における(もしかしたらもっと若い時分から)教育は大事だと思う。


先述したように、
欲求をどういった行動で発散するかは、
その人が持っている知識による。
欲望や違和感に対する感覚を研ぎ澄ます教育も重要だし
知識をつける教育も重要だ。
そして実行するための行動力を養う教育も。

さて、世間の教育者はどう動くのかなぁ。

最初から実行するのは難しいから、
最初に出来るのは、知識を得て、取捨選択することだと思うけどね。
自分で新しい解決策を提案できたら最高だけど、それは最初はハードルが高いでしょ。

支離滅裂な文章でした。すみません。