思索✕詩作。

思索と詩作のブログ。

好きなセンテンス。

現象と心象



私の名前は観察者。



現象と心象の中間に位置する存在。

あらゆる自然現象は何者かによって観察されねば、

その事象が記録されることはない。





私の名前は観察者。



あらゆる現象は、

私のような中間に位置するような者の目によって観察されることでのみ、

その存在を未来に残すことが出来る。





君はコーラリアンを知っているか。



コーラリアンと呼ばれる存在について、我々が語れる言葉は少ない。

誰もがそれをまるで幽霊か化け物のように語る。

しかし実際はそれのいずれにも当てはまらない。

コーラリアンを前にして我々の持つ語彙は圧倒的に少ない。







君はコーラリアンを知っているか。



もし我々に、今の我々以上の語彙が備わったとして、

しかしきっと我々にそれは表現できないし、

その感じとったことを分かち合うことさえもできないであろう。

我々はコーラリアンの前では圧倒的に無力だ。





言ってしまえば、それは砂漠の蟻が大空の先にある物を語るに等しい。





しかし伝わらないからといって、

表層だけを語り、本質から逃げるという行為が満ち溢れるこの世界で、

それに則って言葉を紡ぐことにどれだけの価値があるのだろうか。



伝わらないなら伝わる努力をするべきだ。

その努力をしたくないのなら、

永遠の沈黙を持ってこの場から立ち去るべきだ。



それを彼らは証明していた。



大波を待つライダーたちにとって、

そこに存在していることが、全てを言い表していた。

すべては体験を通して語られる。

既に用意された安易な言語でしか表現出来ない彼らは、

その安易さの下に持ち合わされた深い真実によって、

それをあえて言葉として表現する。



何を語る?



真実を。



しかしそれはあまりにも浅い言葉でしかない。

それを人は陳腐な言葉の羅列として蔑むであろう。



しかし、真実など誰がわかる。

目の前で起こった現象にたいして高尚な言葉で語ること、

それこそがその現象を矮小化させている。



現象は現象でしかない。

現象を語るには現象になるしかない。



しかし我々は現象そのものになることはできない。

現象は我々以外のところにあり、

我々以外のところから発生するものであるからだ。



そうなのだ。

現象は俺たちがいなくても起こる。



ただそれを目撃した者たちには何かを残す。

それがその者達にとって傷となるのか、はたまた糧となるのか。





それすら波には関係がない。













交響詩篇エウレカセブン・14話メモリーバンド。ストナーのセリフより。(コーラリアンはキャラ)