思索✕詩作。

思索と詩作のブログ。

在ったかもしれない未来。

在ったかもしれない未来に溺れるのは簡単だ。
今の現実を否定して、夢想に浸ればよい。
それは甘美で、温かい。
あたかも少年漫画を夢見る幼少期のごとく。


しかし、それは失うものも多い。
遅い、もしくは長すぎる思春期は色々なものを奪っていく(短いのも問題だが。)。
身の丈の自分に気づく猶予期間、
分相応な望みを抱き、ズレを修正する期間。


夢想する者は否定するかもしれないが、得るものはいたって少ない。
ほとんどの人間は夢想と現実のすり合わせをするだろう。
適応する。みんな。


しかし、それをしない、出来ない者も存在する。
私もそのひとりだ。


いつまで在ったかもしれない未来に浸るかはわからない。
いや、多分もうわかっている。


それは一生つきまとうから、間違いなく一生だろう。


それがどんなにみじめで痛いものだとしても、
その温かいあなぐらからは抜け出すことができない。


自分の意思によるにせよ、よらずにせよ、
隠されたものに気づくのが、すべてが遅すぎた。(もしくは早すぎた。)


在ったかもしれない未来にすがらなければ生きていけない自分。


わかるだろ?わかりたくなくても。


ふてくされて、しぼんでいくしかない私を。