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思索✕詩作。

思索と詩作のブログ。

disる。

自分が楽しめない事柄がある。つまらないことがある。

disる。

でも大多数の人は楽しいらしい。

事柄でなく、楽しんでいる人たちもdisりたくなる。

disる。

 

大人げないとはわかってはいる。

でも、disらずにはいられない。

 

こんなことってありませんか?

 

 

幸福の砦。

目の前で繰り広げられる

普通の人の、普通の人による、普通の人のための喧騒から、

異質である僕は距離を置きながら、

ただただその人たちを見て、普通を恨み、普通を呪う。

 

あぁ、なんて孤独。

 

普通の人にとって

僕は

「できることなら」関わり合いになりたくない存在。

「できることなら」とは、

ほぼ「絶対に」とイコールである。

 

あぁ、なんて孤独。

 

そう、僕は孤独で異物なのだ。

 

普通の人の集団に入れない僕は、

普通の人の集団に関わろうとせず、

そもそも、普通の人の集団を視界に入れようとせず、

自分ひとりだけが入れる箱庭だけが

幸福の砦。

風に運ばれるDNA
どこから来てどこへ向かうのだろう
僕等の記憶を含んで
次の街、次の星でどんな記憶に出会うのだろう
どんな音を鳴らすのだろう
どんな景色の中で吹きすさぶのだろう

多数決。

事象に白黒つけるには
この世界はあまりにも多様で
波があれば濃淡もある。
斜めに伸び縮みし軽くなったり重くなったりする。

この四次元の世界を
二次元の刀で叩き斬るには
場合によっては
とても大きな遺恨を残してしまう。

この四次元の世界に
正義というたった一つの唯一無二の正解は
実現不能なユートピア的概念なのだ。
水戸黄門はありえない。

が、必要に迫られれば
水戸黄門の助さんの刀を召喚しなければならない。
四次元の多様な世界に、
二次元の多数決と言う名の刀を。

正義とは血塗られたものなのだ。
多様な意見に白黒つけるために
無理を言って刀で叩き切る。

それが必要なフェーズが
人間世界には存在する。

実際に選択の際に血塗られないだけいいのだ。
昔は血塗られたものだった。

だが忘れてはいけないのは
僕らの多数決は
本来血塗られたものなのだ。
勝者も敗者も
後味が悪くて当たり前なのだ。
後味の悪さを感じるべきなのだ。

助さんの刀で叩き斬っても、
権威と言う名の角さんの紋所でそれを決定づけても、
誇るべきではないのだ。
目の前には傷ついた敗者がいるのだから。

整理します。

ちょっと恥ずかしい私信的な詩を削除したいと思います。
見せられるもんじゃないので。

優しくされると

優しくされると
みじめになる時ってありませんか?
優しくされると
からかわれてるって思う時ありませんか?
優しくされると
恨みたくなる時ってありませんか?

ましてや、
優しくしてくれる人の好きな人が
自分でないとしたら。

ま、特にないんだよね書くことが。

ネクストステージに進むというか脱落したというか。

そういうことはありましたけど。